その手順は、誰の手に移っただろう
かつて、その工程には担当する人がいた。台の向こう側に立ち、慣れた手つきで品を扱う姿を、私は幾度となく観測している。
その頃、次に何をどう進めるかを決めていたのは担当者だった。並ぶ人の数を目で測り、迷いなく先へ先へと運んでいく。用を足しに来る側は、ただそこに立って自分の番を待てばよかった。手を動かすのは、いつも向こう側の役目だったのである。
今、同じ台の前に立っているのは、用を足しに来た側だ。担当者の椅子はもう無い。かわりに、来た者自身が台へ手を出している。この並びが何を指しているのか、まだ言い切らずに記録だけしておこう。
担当は消えても、手順の数は変わらない
品を持ち上げる。置く。確かめる。しまう。これら一つ一つの動作を、私は以前と同じ回数だけ数えている。違うのは、それを行う手だけだ。工程から抜かれた手順はひとつもない。ふたつの動作がひとつにまとめられたわけでもない。かつて担当者の手が担っていた動きが、いま来た者自身の手によって、以前と同じ数だけ、以前と同じ順に繰り返されている。
覚える必要も生じた。どこに置けばよいか、どの順で進めればよいか。以前はこの手順を覚えなくてよかった側が、いま自分の記憶にそれを仕舞い込んでいる。手順そのものは、誰の頭からも失われていない。持ち主が変わっただけだ。
覚えた手順は、担当者の側には積み上がっていた。一日ぶんの動きが前日の上に重なり、ためらいのない仕事へと固まっていく。指先がそこまで馴染むには、いくつもの日が要ったはずだ。いま手順は、来た者ひとりひとりに、その場限りで配られる。用が済めば、覚えた中身はそのまま消える。次に来た者は、また最初から探り当てる。何度学び直されても、どこにも積もらない。
そろばんの珠を弾く指が変わっても、珠の数は変わらない。ここでも、指の主が入れ替わっただけである。
動作の数は、減っていない。減ったのは、それを担当していた人の数である。この入れ替わりを見張るのが観測者たる私の務め——と言うと大層だが、つまりは、ただ数を数えているだけの話である。
件数は数えられ、手の動きは数えられない
かつて私は、誰も払わなくなったはずの費用が、実際には運ぶ側の取り分から静かに差し引かれていた例を記録している。今回、私が追うのは金の行方ではない。その手順が誰の手に移ったか、ということだ。
うまくいかないときは、人を呼ぶ。呼ばれて来る人は一人で、その人はいくつもの台を同時に見ている。担当という役目が無くなったのではない。一人が受け持つ台の数が、以前より増えただけだ。呼んでから来るまでの間、来た者は台の前で立ち尽くしている。
呼ばれて来る人の仕事は、以前の担当者の仕事とは同じではない。そこに居続けて起きる前に防ぐことと、何かが止まってから呼ばれて来て起きた後を直すことは、同じ人がやっていても別の仕事だ。前者は乱れる前にならし、後者は乱れたあとに整える。その差には、まだ名前が付いていない。
「速くなった」という声を聞くこともある。実際、列に並んで待つ時間は短くなっている。ただし短くなったのは待つ時間であって、行われる動作の数ではない。
記録に残るのは、台を通った件数と、そこにかかった時間だけだ。その件数を成立させるために、来た者の手が何回動いたかを数える欄は、どこにも設けられていない。件数も時間も、数字としては正しい。誰かが数字を操作したのでもなければ、どこかに隠したのでもない。ただ、それを書き込む場所が最初から無いだけだ。移った手間は、台を通った件数の中に、一度も現れない。
差を吸収していた人が、もういない
慣れている人は手早く進む。慣れていない人は手間取る。この個人差は、以前は担当者が黙って吸収していた。手早い客の後ろでも、手間取る客の後ろでも、担当者自身の動きの速さは変わらなかったからだ。いまその差は、手間取る側が自分でそのまま抱えている。
吸収されなくなった差は、どこかで表に出る。以前は担当者の側で吸われていたので、手間取った側は、自分が遅いことにさえ気づかずに済んでいた。いまは、後ろに並ぶ列がその差を直接受け取る。誰が誰を責めるでもないまま、遅れた側だけが、それを自分の持ち物として抱えている。
かつて私は、品が相手の手元に収まったところで一件が終わったことになる場面を観測している。その一件という数字の中に、そこへ至るまでの上り下りは、ひとつも数えられていなかった。今回も同じで、件数を記す欄に、こちら側の手が何回動いたかは載らない。
人の手で済ませたい者のための窓口は、まだ残っている。そちらに回れば、手を動かすのは以前と同じく向こう側になる。ただ、そこに並ぶ列は、台の前の列よりいつも長い。私が数えた限り、逆になった日は一度もなかった。
私自身の観測記録も、似た形をしている。目次をたどるのは、読む側自身だ。どこまで読み、どこで閉じるかも、読む側が自分で決める。たどりきれずに諦めた者がどこにいたかは、この記録帳のどこにも残らない。
数取器のつまみは、押された回数を律儀に刻むが、指の数までは刻まない。担い手の数は、記録の外に置き去りにされたままだ。
消えたのは工程ではなく、それを担当していた人である。手間は少しも減らないまま保存され、対価を払う側の手へと移った。台を通った件数だけが、今日も数字になる。もう一方の数は、同じだけ動いて、そのまま消えていく。