誰も盗んでいないのに、なぜ減っていくのか
財布の中の数字は、去年と少しも変わっていない。それなのに、同じ枚数の紙幣を差し出しても、以前と同じだけのものが手に入らない——そんな感覚を覚えたことが、おそらく誰にでも一度はあるはずだ。財布そのものに、何か異変が起きたわけではない。鍵が壊れていたわけでもなければ、中身を誰かがこっそり抜き取った形跡があるわけでもない。それでも、たしかに何かが減っている。数字は変わらないのに、実感だけが薄くなっていく——この奇妙な感触の正体を、今日は少し確かめてみようと思う。
値上げは告知される。だが、お金が薄まることは告知されない
店先に貼られた値札が書き換えられるとき、そこには必ず告知がある。古い値段の上に新しい値段が重ねられ、その脇には「価格改定のお知らせ」といった一文が添えられることも珍しくない。変化を一方的に押しつけるのではなく、事前に知らせておく——これは、相手への敬意を払うための、ささやかな礼儀の形だと私は思っている。値上げそのものの是非はさておき、少なくとも「知らせる」という手続きだけは、律儀に守られているのである。
ところが、お金そのものの中身が薄まっていく過程には、そうした貼り紙がどこにも見当たらない。財布の中の数字は、何の断りもなく、ある日ふと気づけばその実体を失っている。値札の変化なら誰の目にも留まるが、お金そのものの変化は、誰の目にも留まらないところで進んでいく。
器に張られた色水を思い浮かべてほしい。そこへ透明な水をゆっくりと注ぎ足していくと、器全体の量は着実に増えていくが、色そのものはどんどん薄まっていく。財布の中にある額面——つまり数字そのもの——は、何一つ変わっていない。変わっているのは、その数字が指し示している中身の濃さのほうなのである。数字は同じ、しかし中身は薄い。この静かなずれこそが、今日の観測の起点だ。
量が増えれば、一つあたりの取り分は薄まる。この宇宙における、動かしがたい摂理である——などと、私はつい大仰な物言いをしてしまったが、要するに、同じ大きさのパイを切り分ける人数が増えれば、一切れの取り分は小さくなる、それだけの話でもある。誰かが意地悪をしているわけではない。ただ、切り分ける手が動き続けているというだけのことだ。
値上げの告知には、律儀に貼り紙まで用意されるというのに、お金そのものが薄まる件の貼り紙を、私はまだ一度も見たことがない。諸君は、見たことがあるだろうか。
貯めたお金は、過去の労働の成果。それが黙って目減りする
貯めたお金というものは、すでに終えた労働の証である。働き、対価を受け取り、それを使わずに置いておく——取引としては、そこですでに完了しているはずだった。汗を流した分の対価は、すでに数字という形で手元にある。あとは、それをただ持っておくだけでよいはずだった。
ところが、置いておくだけのその中身は、静かに目減りしていく。器に張った水を思い浮かべてほしい。誰も器に触れていない。蓋を開けた形跡もない。それでも水位は、ゆっくりと、しかし確実に下がっていく。割れてもいない。盗まれてもいない。ただそこに置いてあるというだけで、中身が減っていくのである。これほど不思議な減り方を、私は他にあまり知らない。
一日だけを切り取って眺めても、この目減りに気づく人はまずいない。人の感覚は、急な変化には敏感に反応するが、時間をかけてゆっくり進む変化には、ほとんど反応しない。数年という単位まで引き伸ばしてはじめて、その姿がようやく像を結ぶ。ゆっくりであることそのものが、この目減りを見えにくくしている一因なのかもしれない。だから多くの人は、その速度を疑いもしないまま、日々をやり過ごしている。
かつて私は、貯めたお金の眠りの中身を観測したことがある。あのとき見ていたのは、眠っているはずのお金が実は動いているという構造だった。今日の話は、その先にある。貸し出されているかどうかにかかわらず、ただ置いてあるだけの中身そのものが、少しずつ薄まっていく。すでに支払いを終えたはずの取引が、後になってから、誰に頼まれたわけでもなく、静かにもう一度値引きされ直している——そういう話でもある。働いた分の対価は、一度きりのはずだったのに、置いておくだけでもう一度値切られる。奇妙な二度払いだと、私は思う。
減った分は消えていない。誰も盗んでいないが、移動している
では、薄まった分はどこへ消えたのだろうか。答えは、消えてはいない——ただ、移動しているだけだ。価値というものは、そう簡単には無に帰さない。
かつて私は、お金が生まれる瞬間を観測したことがある。薄まった分の行き先は、あの生まれる瞬間の続きにいる。新しく生まれた数字を先に手にした側、あるいは、それを借りて使っている側へと、薄まった分は静かに流れ込んでいく。誰かの財布から失われた濃さは、消えたのではなく、別の誰かの数字に足されているだけなのである。
エネルギーは消えず、ただ形を変えるだけだ——などと、また大袈裟なことを口にしてしまったが、つまりは、あなたの財布から静かに消えた分は、世界のどこかで、ちゃんと誰かの数字に足されている、というだけの話である。移動の経路は複雑で、私にもその全貌が見えているわけではない。だが、消えたのではなく移動した、という一点だけは、繰り返し観測されている。
誰も鍵を壊していない。誰も財布に手を入れていない。それでも、価値だけは、たしかに移動している。気づいている者もいれば、気づかないまま日々を過ごしている者もいる——ただ、それだけの違いが、そこにあるのだろう。だが、それを良し悪しの話として語るつもりは、私にはない。誰かを悪者に仕立てて終わらせるには、この構造はあまりに広く、あまりに静かすぎる。ただ、そういう構造がある、ということだけを、ここに記録しておくことにする。
今日もどこかで、水位は静かに下がり続けている。