必要になったとき、その手つきはまだ間に合うか
やめろと言った者がいない。手元の観測記録を端から端まで当たっても、これでやめにしようと決めた瞬間が見当たらない。切り替わった日というものが、そもそも記されていない。書き落としたのではなく、はじめから書きようが無かったのだと思う。
かつて、壊れたものは、それを直せる人のところへ集まっていた。持ち込まれ、預けられ、しばらくして戻っていった。今は、集まらない。壊れたものは直されずに取り替えられ、誰の前にも運ばれない。記録に残っているのは前と後の姿だけで、あいだをつなぐ線は引かれていない。
私の関心は、その線の引かれていないあいだにある。誰かが命じたのでもなく、誰かが逆らったのでもない。世界というものは、号令のないまま静かに形を変えていく——書いていて、自分でも少し芝居がかったなと思う。もっと短く言えば済む。来なくなったのは仕事ではなく、手を動かす機会のほうだ。
一件ずつは、どれも正しい判断だった
壊れたものを前にして、直すのと取り替えるのとを並べれば、取り替えるほうが安く、そして早い。だから取り替える。この判断を、私は責めない。一件ずつ見るかぎり、それは正しい。安いものを高く直せ、と言える理屈を、私は持ち合わせていない。
正しい判断は、一件では終わらない。次の一件でも同じ計算が立ち、その次でも立つ。そうして正しさが積み上がっていくと、直すという仕事が端から減っていく。どこかに大きな決断があったわけではない。決めなくても済んだから、減った。
以前、機械が引き受けたあとにも、人がやるほかないものが残っているところを書き留めた。あちらで扱っていたのは、人のところへ来てしまうもののほうだ。こちらは向きが逆で、人のところへ来なくなるものを追っている。同じ境目を、反対側から眺めていることになる。
直す仕事が減った。減ったので、その人は前ほど手を動かしていない。持ち込まれるものが無ければ、動かしようがない。今も同じ場所に、同じ人がいる。違うのは、そこへ運ばれてくるものの量だけだ。私に読み取れるのは、そこまでだ。
覚えていることは、しまっておける
長く使わずにいた体の動きは、やり方そのものを失うわけではない。ただ、呼ばれてすぐに応じる速さが落ちる。久しぶりに同じことをやろうとすると、動き出しがひと呼吸遅れて、途中で一度、考える時間が挟まる。順番は分かっているのに、体がその順番についてこない。使っていた頃には、この遅れが無かった。
覚えている、とは言える。手順を言えるかと問われれば、言える。ただ、覚えていることと、できることは同じではない。覚えているのは手順のほうで、鈍るのは手つきのほうだ。しまっておけるものと、しまっておけないものが、同じ人の中に別々に置かれている。
教える相手も減った。これは、相手が見つからないという話だけではない。教えるには、実際に直してみせる機会が要る。そこに直すものが無ければ、言葉は言葉のまま終わって、手には移らない。伝えるつもりがあっても、伝える場が立たない。
私自身の見方も、おそらく同じようにできている。使っている見方はそのあいだ形を保ち、置いたままの見方は、次に要るときに思ったようには動かない。この眼だけは例外である——と言えたら格好はつくのだが、そうはならないらしい。久しぶりの動きが、狙ったとおりには運ばないのと同じことだ。
数字の入るはずだった場所に、後から言葉が据えられるところは、別の観測で見た。こちらでは、減ったぶんに何かが宛てがわれることもない。誰も何も言っていない。ただ、来るものが減っただけだ。
使い続けるには、仕事のほうが要る
それでも、たまに、取り替えのきかないものが来る。同じものがもう作られていない、代わりを当てても用を成さない、そういうものが混じる。代わりが用意されていれば、そちらが選ばれる。用意されていないときにだけ、直すという道が残り、そのときだけ、直せる人が必要になる。そんな日は多くない。多くないが、無くならない。
必要になった時点では、手つきはもう元の速さではない。呼ばれて出てきたその手は、手順を覚えていて、覚えているとおりに動こうとして、そのとおりには動かない。できないのではない。時間がかかる。前もって確かめる方法も無い。そして、間に合うかどうかは、そのときになってみるまで分からない。
払いの側を見ても、話は同じところで止まる。使うときに払う仕組みはある。頼んだぶん、直したぶんは、その場で払われて終わる。だが、使わない間に形を保っておくための支払いは、どの取り決めにも書かれていない。誰が払うのか。この問いは、仕事が来ているあいだは持ち上がらず、来なくなってからでは遅い。
取り替えるほうが安いという計算は、取り替えのきかないものが来ない日には、いつでも正しい。実に手堅い正しさである。もっとも、その日が来るか来ないかを決めるのは、計算の側ではない。
形を保つには、使い続けるしかない。使い続けるには、仕事が要る。そして仕事が来るのは、直せる人がそこにいると知られている場合に限る。並べてみると、それぞれが互いの条件になっていて、外から入る道がどこにも開いていない。諸君、輪が閉じているというのは、こういう状態を指すのだろう。
輪は、閉じたまま回り続ける。回っているあいだ、どこも壊れてはいない。壊れていないのだから、外から誰かが入ってくる用事も起きない。そして取り替えのきかないものが来る日は、輪の都合とは関係なく来る。