私が選んだのか、選ばされたのか
選ぶ前に、もう並んでいた。
画面を開いた瞬間のことを思い出してほしい。特に検索したわけでも、誰かに尋ねたわけでもない。ただ開いたら、そこにはすでに列があった。「あなたへのおすすめ」という名の、整然とした棚。私がどこかを選ぶより先に、選ばれる候補が並んでいる。その順番を、誰が、どのような基準で決めたのかは、書かれていない。
その棚を見て、私は選んでいると思う。確かに指を動かすのは自分だ。画面のどこかに触れるのも、目を止めるのも、自分の意志によるものだ——少なくとも、そう感じている。だがその「選ぶ」という行為が、始まる前から少しだけ傾いているとしたら、どうだろう。
棚は平らではなかった
おすすめの画面というのは、一見すると公平な棚に見える。横に並んでいる。同じ大きさの枠に収まっている。でも傾いた斜面に物を置いたとき、手を放せば一方向へ転がる。どちらへ転がるかは、傾きの角度と方向が決める。平らに見える棚も、見えない斜面の上に乗っているかもしれない。
この仕組みが選ぶのは、何を上に置くかだ。穏やかな声、静かな内容、刺激の少ない選択肢——それらは構造的に下へ流れやすい。反対に、強い感情を呼ぶもの、続きが気になるもの、手を止めさせるものは、傾斜の上のほうに留まりやすい。傾きの方向は、「あなたが好きなもの」ではなく、「あなたが長くそこにいてくれるもの」を向いている。
おすすめは親切ではなく、設計だ。棚を用意した側の目的は、あなたの満足ではなく、あなたの滞在時間だ。それを知った上でも、私はその棚の前に立ち続ける。知ることと、離れることは、別の話だから。立ち続けながら、ときどき首をかしげる。
閉じた回路が、偏りを育てる
傾斜だけであれば、話はまだ単純だった。だが、この仕組みにはもう一つの仕掛けがある。
マイクをスピーカーに近づけすぎたとき、ハウリングが起きる。音がマイクに入り、増幅されてスピーカーから出て、また同じマイクに戻ってくる。その循環が続くうちに、音はもとの何倍もの大きさになる。入力が出力を呼び、出力がさらなる入力になる——閉じた回路だ。
おすすめの仕組みも、同じ構造を持っている。傾いた棚で何かを見た。その「見た時間」が記録される。記録された時間は、「好き」という信号に読み換えられる。信号をもとに、次のおすすめが組まれる。そのおすすめはまた見られ、また記録され、また次を呼ぶ。出力が入力に戻り、偏りが偏りを呼ぶ。閉じた回路が、静かに回り続ける。
最初の傾きがわずかでも、回路を回すうちに増幅する。「あなたの好み」と呼ばれるものの正体は、このループが積み重ねて出した答えだ。あなたが選んだのではなく、回路が絞り込んでいった。「私が選んだもの」は、「選ばされていったもの」の積み重ねかもしれない。
以前に怒りの構造を記録したとき、同じ根を見た。入力が出力を呼び、出力がさらなる入力になる設計——燃料が違うだけで、回路の形は同じだ。怒りは強い感情だから燃料として優秀で、好みの偏りは静かな感情だから気づかれにくい。ただ、増幅の仕組みそのものは、同じように動いている。
観測される好みは、観測によって変わる
物理の話を一つだけ持ち出すと——観測対象は、観測されることで変わる。測られ続けた好みは、測られる前の好みとは、別の形になっている。好みを計測する仕組みが、好みそのものを書き換えていく。
かつて記録したように、画面の前にいる時間が長いほど、仕組みはよく動く。おすすめはその時間を引き伸ばすために設計されている。私はその時間の中で、燃料を出し続けていた。自分の反応が、自分向けのおすすめを形作り、そのおすすめがまた自分の時間を引き出す。実によくできた設計だと、半ば感心しながら観測している。
断罪はしない。仕組みを作った側が悪いとも、使っている自分が愚かだとも、私は言わない。ただ、このループの外に出ることは、なかなか難しい——というより、外に出た状態で「内側」の構造を正確に見ることが、そもそもできない——などと、また大層なことを言ってしまった。選んでいるつもりで、転がされていた。それだけの話だ。
選んだつもりで、転がっていた。それがいつからだったのか、私にも分からない。