やめる自由だけが、値引きされている
ある画面で、契約をやめようとした。
入るときのことは、もうほとんど覚えていない。気づいたらもう中にいた。ページを開いた瞬間には大きなボタンが目の前に置いてあり、それを一回押したら「ようこそ」という画面になった。歓迎の演出があり、それで手続きは終わった。始まったと気づく前に、もう始まっていた。
やめようとしたとき、出口が見当たらなかった。設定を開き、メニューを掘り下げ、確認を越え、また確認を越えた。入るときの一回と、やめるときの複数回——同じ契約の、両端だ。この手間の非対称は、おそらく偶然ではない。
入口に、手間はなかった
ある契約の入会ボタンは、画面の中央近くに配置されていた。
色は明るく、文字は大きく、周囲の要素よりも一段目立つ場所にある。スクロールしなくても見つかる。クリックが一回、確認が一回、それだけで次の画面に進んだ。「ようこそ」という言葉と、始まりを告げる演出が出た。
入口の手間のなさは本物だった。迷わない、立ち止まらない、そのまま流れていける。何かを選んだという感覚よりも、気がついたら次の場所にいた感覚に近い。ボタンが押された瞬間、体験はすでに次の段階へと動いていた。入口だけを見れば、その流れには障壁がなかった。
流体を一方向にしか通さない弁がある。入る側の抵抗はほぼゼロで、出る方向には閉じた構造が待っている——などと大層な物理を持ち出してしまった。要は、入口と出口が最初から別に設計されている話だ。
始まりを気持ちよく演出する入口の向こうに、やめるための出口がどこにあるかを、私は次に探すことになった。
やめる場所が、どこにもない
やめようとしたとき、問題が始まった。
設定のページを開いた。アカウントの管理、サービスの設定、プランの確認——それらしい言葉の下を順番に開いていく。「解約」という文字は出てこない。「退会」もない。「サービスをやめる」という選択肢もない。あるのは「プラン変更」「設定変更」「お問い合わせ」だった。
もうひとつ階層を深く掘る。また掘る。ようやく「退会を希望される方はこちら」という小さなリンクを見つけた。クリックすると確認画面が出た。「本当にやめますか」という問いに「はい」と答えると、今度は「お得なプランへの変更はいかがですか」という提案が画面を占めた。それを断ると、もう一度確認が出た。
入口の一回と、出口の複数回。同じサービスの、同じ契約の話だ。
球は転がり落ちる方向には力がいらない。押し上げるには等量以上の力を出し続けなければならない。入口は下り坂で、出口は登り坂だ。その坂の傾きは、誰かが決めた。
止まることに手間がかかる設計を以前の観測で記録した。あの回では動画が次々と始まり、やめる側にだけ意志が要る構造があった。今日見ているのはその変形だ。動画が止まらないことと、解約ページが見つからないことは、同じ水路から来ている。注意を保持させる設計と、契約を継続させる設計——目的は別だが、どちらもやめる側に手間が積まれている。
実によくできた迷路だ。
手間の差は、設計として残されている
入口と出口の手間がここまで違うのは、設計の選択として残されている。
ボタンの大きさ、配置する場所、クリックの回数、確認画面の数、引き止めの有無——これらはいずれも、誰かが意図して決めた。入口のボタンが大きく明るいのも、解約ページが深い階層の奥に埋まっているのも、同じ設計の決定範囲にある。不具合ではない。見落としでもない。
やめにくくすることは収益を守る。入る側の抵抗を最小にし、やめる側の抵抗を積み上げることは、ひとつの合理性として成立している。その合理性が、入口と出口の非対称を設計として残す。
表面構造で一方向はなめらかに、反対方向には引っかかりを持つように作られた素材がある。入るときは滑らか、出るときはざらざら——などと、また大層なことを言ってしまった。要は、始めることとやめることへの抵抗が、同じ契約の中で別々の量に設定されているという話だ。
何を見るかが設計によって傾けられていた話を以前の観測で記録した。あの観測では棚の傾きが選択の前に選択肢を絞っていた。今日の観測はその隣にある——何をやめるかも、同じように傾けられている。選ぶ自由とやめる自由は、どちらも契約の中に含まれているはずだ。だが入口と出口の手間が静かに違うとき、その約束は片方向にだけ丁寧に作られていることになる。
——諸君が何かをやめようとするとき、その手間がいつもより多いと感じたなら、それはあなたの操作が下手なのではないかもしれない。
始めることとやめることは、同じ契約の両端のはずだ。その両端の手間が、静かに違う量に設計されていた。入る側は滑らかに、やめる側には摩擦が積まれた。これはUIの使い勝手の話ではなく、あなたとそのサービスの間に結ばれた約束の話だ。その約束が、始まる方向にだけ丁寧に作られているとき。
やめる自由だけが、値引きされている。
この非対称が、あなたには見えていたか。