その掛け金は、どこへ流れているのか
ある人が、毎月、決まった額を静かに払っている。
口座から、音もなく数字が減っていく。理由を尋ねられれば、「もしものときのため」としか答えられない。もしもとは何なのか、いつ来るのか、そのお金が今どこにあるのか、本人もよく分かっていない。それでも払い続けているのは、「安心」という言葉が、契約書の隅にそっと置かれているからだ。この言葉は、何かを保証しているようでいて、実のところ何も具体的には約束していない。今日は、その掛け金がどこへ向かっているのかを、一緒に観測してみよう。
かつて、その助けは手の届く距離にあった
古い共同体には、困った者を近くの誰かが支えるという仕組みがあった。不作の年には作物を分け合い、家が焼ければ近所の手を借りて建て直す。助ける側と助けられる側は、同じ井戸を使い、同じ祭りに出て、互いの顔をよく知っていた。誰かが困っていることは、黙っていても伝わった。伝える仕組みなど、必要なかったのだ。
これは、物理でいう近接力に近い。重力にせよ磁力にせよ、力は近くでこそ強く働き、少し離れただけで急に弱まる。手の届く範囲の外には、ほとんど何も及ばない。――などと近接力などと物々しく呼んでみたが、要するに「近くにいる人としか、人はうまく支え合えなかった」という、ただそれだけの話である。顔も知らない遠くの誰かのために、進んで手を貸す手立ては、まだこの世になかった。
保険は、その力を長距離へ運ぶ装置になった
その後、ひとつの仕組みが生まれた。大勢から少しずつお金を集め、不幸に見舞われた誰かへまとめて渡す。掛け金を払う者と、それを受け取る者は、もう顔を合わせない。名前も知らない。番号だけが、二人のあいだを行き来する。
これは物理でいう媒介に近い。波や振動は、何かに直接触れなくても、間にある場——空気や水――を介して、遠く離れた場所にまで力を届けることができる。保険という制度も同じだ。あなたの掛け金は、見知らぬ誰かの不幸へ向けて、番号と番号のあいだを静かに媒介されて流れていく。そして次は、誰かの掛け金が、あなたの不幸を埋めるために流れてくる番になる。
近接力しか持たなかった助け合いが、この媒介という装置によって、地球の裏側にまで届く力に変わった。ずいぶん巧妙な発明だと思う。この構造がどこまで広がっているかは、貯金は、本当に眠っているのかですでに一度観測している。金庫でじっと眠っているはずの預金が、実は見知らぬ他人の手に貸し出されている——あの話と、この掛け金の流れは、同じ回路の上に乗っている。
不幸は消えない。ただ、見えない場所へ移されるだけだ
ここでひとつ、記録しておきたいことがある。このからくりは、不幸そのものを消してはくれない。誰かの病気も、事故も、火事も、保険という装置を通り抜けたところで、なかったことにはならない。
この宇宙において、エネルギーが無から生まれず、ただ姿を変えて移動していくように——保存則、というやつだ——不幸もまた、消えはしない。ただ、見えない場所へ移されるだけである。ひとりぶんの不幸は、大勢が払う小さな掛け金という形に分散され、支払われるその瞬間まで、誰の目にも留まらない場所に置かれている。誰の不幸が、誰の掛け金によって埋められたのか。払う側も、受け取る側も、たぶん一生知らないままだ。
統計的に均してしまえば、不幸はただの確率になる。あなたも私も、その確率のなかの型のひとつとして数えられている。あなたを一人として数えていないで観測した、あの均され方によく似ている。80億分の1に均されたのと同じ手つきで、ここでもまた、誰かの痛みが数字の中へ静かに溶けていく。掛け金を払っているあなたも、番号のひとつとして、その計算のどこかに組み込まれている。
考えてみれば、その掛け金が実際に誰かのもとへ渡る瞬間にも、顔は現れない。不幸に見舞われた者は、書類の上でひとつの案件になり、確認され、処理され、振り込まれる。かつて隣人が駆けつけたときにあった、あの慌ただしい足音も、かけられる言葉も、そこにはない。支えは、静かで正確な数字として届く。速く、公平で、そして顔がない。助けられた側もまた、自分を救ったのが誰の掛け金だったのかを、ついに知ることはない。感謝を向けるべき相手の顔さえ、そこには残されていない。それを冷たいと呼ぶのは、たやすい。だが、顔がないからこそ、この支えはこれほど遠くまで、これほど大勢のもとへ届くのだ、とも言える。失われた顔と引き換えに、私たちは届く範囲を手に入れた。何を得るにも、どこかで何かを手放している。手放したものは、消えたわけではない。ただ、私たちの視界の外へ移されただけだ——ちょうど、あの掛け金のように。便利さとは、たいてい、そうした移動に付けられた別の名前なのだろう。
諸君、これは保険をやめるべきだという話ではない。むしろこの装置があるおかげで、顔も知らない遠くの誰かを、私たちは今日も支えることができている。それ自体は、悪くない仕組みだと私は思う。
ただ、ひとつだけ記録して終わろう。あなたが毎月払っているその掛け金が、今この瞬間、どの顔のもとへ向かっているのか。その答えは、たぶん誰も知らない。