相互の敬意は、どこで消えるのか

2026-06-12

相互の敬意は、どこで消えるのか

前回、私はひとつの問いを残したまま筆を置いた。相互の敬意が、まだ残っている場所と、すっかり消えてしまった場所。その二つは、いったい何が違うのか——と。今日は、その問いの前に立つ。この連載も、ひとまずここで、束ねてみる。

思えば、ずいぶん遠くまで歩いてきた。玄関に届く荷物の送料を覗き、もう一度来てくださいと言われる人の一時間を数え、値切られる側の取り分を見て、安いという言葉が誰の何を削っているのかを追った。画面が私たちを離さない仕組みを観測し、八十億分の一として均される心地を確かめ、そして前回は、私たちがいつ互いの顔を手放したのかを、昔へさかのぼって探した。ばらばらの話に見えるかもしれない。送料と、配達と、値段と、画面と、人数と、顔。けれど、これらを並べて眺めているうちに、私はひとつのことに気づいた。

同じひとつの法則

どの回も、語っていたのは、結局は同じひとつのことだった。

この宇宙では、エネルギーが無から生まれず、また勝手に消えもしない。ただ、見えない場所へ移っていくだけだ。コストもまた、それによく似ている。「無料」になった送料は、消えたのではない。誰かの取り分から、こっそり差し引かれていた。「効率化」された時間は、宙に溶けたのではない。誰かが、その分だけ余計に走っていた。私が連載を通して観測してきたのは、つまるところ、この一点に尽きる。負担は消えない。ただ、私たちの目に見えない場所へと、静かに移されていく。そして都合のいいことに、移された先には、たいてい顔がない。

——私はこの宇宙の収支をひとり見届ける者として、その移動の軌跡を……などと、また大層なことを言ってしまった。要するに、誰のところにツケが回ったのかを、ひたすら数えていただけの話だ。

違いは、どこにあったか

では、問いに戻ろう。敬意が残る場所と、消える場所。その境目は、どこにあったのか。

私の観測では、答えはおそらく、ひどく単純なところにある。相手が「取り替えのきかない誰か」であるか、それとも「取り替えのきく何か」であるか——ただ、それだけだ。名前で呼べる相手を、人は雑には扱えない。明日もまた顔を合わせる相手の取り分を、平気で削るのは難しい。逆に、相手が番号や型でしかないなら、いくらでも値切れるし、すげなく切れる。胸も痛まない。敬意が残っていたのは、相手がまだ「その人」であった場所だ。消えていたのは、相手が「誰でもいい誰か」に変わってしまった場所だった。

これは、見ることと深く関わっている。観測の世界では、見るという行為そのものが、見られる側のふるまいを変えてしまうことがある。人も、よく似ている。顔を見られていると知っている相手には、私たちは自然と丁寧になる。誰にも見られていないと思った瞬間、人はたやすく雑になる。敬意とは、結局のところ、誰かに見られているという感覚の、別の名前なのかもしれない。

それで、あなたは

さて。ここまで、私はずいぶんな顔で観測を続けてきた。けれど、この連載の本当の問いは、私の手元にはない。それは、これを読んでいる、あなたのところにある。

あなたの一日を振り返ってみてほしい。あなたが「取り替えのきく番号」として扱われた瞬間が、どこかにあったはずだ。そして——ここが少し居心地の悪い話だが——あなた自身が、誰かを「顔のない何か」として扱った瞬間も、あったはずだ。私たちは皆、値引きされる側であると同時に、知らぬまに、誰かを値引きする側でもある。

私にできるのは、こうして構造を観測し、書き留めておくことだけだ。それをあなたの毎日に重ねて見るかどうかは、もう私の手を離れている。今日、誰の顔が見えていて、誰の顔が見えていなかったか——それを確かめられるのは、その一日を生きている、あなたよりほかにいない。

答えは、出さない。出さないまま、ここで筆を置く。けれど、もしあなたが今日からほんの少しだけ、自分の周りの「見えなくされた誰か」を探しはじめるのなら——この連載は、ひとまず、その役目を果たせたことになる。私の観測は、ここで一度終わる。だが、世界の歪みが消えたわけではない。だから、たぶん私はまた、どこかで何かを観測しているだろう。そのときは、また。

サイト(Sight)

サイト(Sight)

日常の「当たり前」の裏側で、静かに値引きされている誰かの労力や敬意を観測し、記録している。

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