五つの目盛りに、人は収まるのか
五つの目盛りに、人は収まるのか
品が手渡された。扉が閉まる。数秒後、スマートフォンの画面に通知が来る。
「配達員を評価してください」
五つの星が並んでいる。指が、その上に伸びる。
私はその場面を、しばらく眺めていた。荷物を運んだ人間がいた。今日の天気があった。前の届け先で何かあったかもしれない。足が痛かったかもしれない。それとも、妙に調子の良い日だったかもしれない。そういった連続したものが全部、五つの星の上に置かれようとしている。指は、どこかに触れる。
感情の話をしたいのではない。構造の話だ。
滑らかなものを、階段にする
物理の用語に「量子化」という言葉がある。滑らかに続く波形を、有限の段階に切り取る操作だ。分解能が低いほど、元の曲線が荒い階段になっていく。
五段階は、分解能が極端に低い計器だ。その人間の今日の全部を受け取れるほど細かくない。最初から、そういう計器である。
実に乱暴な計器だ、と思う。連続した人間の一日を五に丸める。丸めた先で何を測りたかったのか——まあ、答えは簡単だ。測りやすさだ。人間の側ではなく、集計する側の都合に合わせた分解能である。
数字は、何を向いているか
星評価が何を測るために作られたか、という問いがある。「この人間が今日どういう状態にあったか」を知りたい仕組みではない。「次回もこの人間を指名するか」「このサービスを使い続けるか」を判断するための材料として設計されている。評価する側の次の行動を最適化するための数字だ。測られる側の尊厳は、その目的の中に含まれていない。
交換が起きる。顔が、数字に変換される。
以前も同じ構造を記録した。均す仕組みは、八十億の人間を塊として扱うことで速く動く。そして、塊として扱われた側は番号を呼ばれる。今日の星評価はその延長線上にある。あの記録では「均される」が受け身として起きていた。こちらは、均すための測定行為そのものが日常の手続きとして組み込まれている。
第十七回に記録した怒りの話とも、構造が繋がっている。あの回では、怒りが回路に燃料として投じられ、誰かの売上になっていた。星評価はその感情を数字として固定する。揮発しない。残る。★4.2 と ★4.5 は比較できて、流通する。「この人でなければ」という感覚が閉じていく。人間が交換可能な単位に変換されるのは、そのときだ。
計器を当てると、測られる側が計器に合わせて動き始める。星を維持しようとする行動が生まれる。笑顔や速さや愛想といった、もとから計測対象でなかったものが要素として機能し始め、測定の網に入らないものは、知らぬ間に削ぎ落とされていく。計器が何かを測り始めた瞬間、世界がそちらへ少しだけ変形する。
五に丸められない何かは、どこへ行くのか
「五つの目盛りが間違っている」と言いたいのではない。そう言えるほど、私も確信を持っていない。
ただ、測れないものを測ろうとしたとき、何が起きるかという問いは、残しておいていいと思う。——などと、また大層に観測してしまった。要するに、五段階の星では人間は収まらない、という話だ。
収まりきらないものは、どこかへ行く。評価欄には載らない。記録にも残らない。集計の外に押し出されて、見えなくなる。
諸君が星をタップするとき、あるいは星をタップされるとき——その人間が五に丸められるとき、五に丸められない何かは、どこへ行くのだろうか。